手術における成功、失敗とは何なのか。
患者が言う「手術は成功しましたか?」とは何を指して言っているのか。
患者が言う「手術ミスがあった」と、医者が言う「それは合併症です」
などなど、いろいろ綴っていきます。
わかりやすい成功・失敗の例
「入試に失敗した」と言えば意味はほぼ100%わかると思います。
そこの「入学試験に不合格だった」というほぼ一対一の関係で、それ以外はないでしょう。
反対に「入試に成功した」だったら、「合格した」んだな、と。
「ギリギリ1点で届かず不合格で悲しい思いをしたけど、頑張ってきた努力と経験が得られたから、成功した」とは言いませんよね。
もちろん、マインドとして人生の経験としてプラスにとらえられるならそれは良いと思いますが、「入学試験には失敗した」になると思います。
0か100のわかりやすい結果ですよね。
成功・失敗の定義は、その成功・失敗が起こり得る内容によって変わってきますが、0か100を成功・失敗と言うような気がします。
患者視点の手術の成功・失敗とは
では、「手術が失敗した」はどのような意味で言っているのでしょうか?
何をもって手術の成功とし、失敗とするのか。
答えは、患者さんの認識の仕方で決まります。
「こうなったら手術は失敗で、こうなったら手術は成功です」
そんなことはそもそも手術の前に話し合われません。「失敗」「成功」という単語は普通使われません。
患者サイドからすると、予定していた手術を無事終えて、状態が完全に回復することで成功と考えるかもしれません。
失敗は、予定していた手術ができなかった場合、手術が無事終わったが予想していたように状態が回復しなかった場合、回復したけど他の症状が出てきた場合、など、さまざまだと思います。
手術が問題なく終わったかどうかというのは、そのあとに経過・患者さんの状態でわかってくるものでもあるし、手術自体が誰が見ても大きな問題なく終わったとしても、その後の経過が悪くなることはあります。
手術自体は問題なく終わったけど、経過が悪い状態になっている、これは手術は成功したのか?
どうでしょう。
そのままの意の通り「手術は問題なく終わったけど、現在は良い状態ではない」と受け止める人もいるでしょうし、「そんなの手術のときにミスがあった、手術が失敗したからに決まっている」と捉える人もいるでしょう。
つまり、患者サイドの認識・受け止め方にゆだねられているということです。
手術は0か100という、分かりやすい結果にはなりません。
何を基準にどうすれば0なのか、どうすれば100なのか、そんなものはわかるはずがありません。
医者は手術を成功・失敗とは言わない
「手術は成功しました」という言葉は、わかりやすく伝えるために使われることはあるかもしれませんが、個人的には「成功しました」という言葉は使いません。
「問題なく終わりました」と言います。
それは述べてきたように、「成功」という意味のとらえ方が両者で異なる可能性があるし、そもそもそもそも成功・失敗を事前に定義などしていないからです。
予定していた手術がその予定通りに終わったのであれば「予定通りの手術で、問題なく終わりました」と伝えるし、予期せぬ事態が発生し予定と異なった場合はその事実を伝えます。
「成功」という言葉は医療において不明確であり、その言葉によって無駄な期待感を高める必要はないので、使いません。(伝わりにくい人に、わかりやすく伝えるという意味で使うことはありえますが)
合併症とは
合併症とは大きく2つの意味を持ちます。
- ある病気によって生じる他の悪影響のこと
- 医療行為によって生じる悪影響のこと
手術における合併症は②になります。
すべての医療行為に、合併症は付きものです。
そして手術が問題なく終わったとしても、手術後の状態がどのようになるかは、わからないです。
勿論、問題なく終わって、ある程度手術後の状態も良いだろうことが推定できる場合はたくさんあります。
しかし、問題なく終わっても術後の状態が悪くなることはいくらでもあるし、手術が問題なく終わっても元々の身体の状態から考えて悪くなることが予想されるケースなどもあります。
なんでも起こり得るような状況を、0か100かで判断されるのは、困ってしまうわけです。
これは、自信がないからという訳ではありません。
どんなに上手な執刀医でも、手術をする以上、悪い結果を0にするというのは不可能です。(神の手を持つ医者などの漫画の世界を除く)
手術による悪い結果を0にする唯一の方法は、手術をしないことだけです。
手術をしなければ手術で悪くなることはありません。病状が悪化して悪くなることはありますが。
合併症が生じた原因
何か合併症があったとき、それが予期せぬ合併症だったのか、技術的な問題で起こった合併症なのか、その判定はどうやって行うのか。
例えば、世界一手術がうまくてどんなオペでも合併症を絶対に起こさず、その後の経過含めて全く問題なく終える医師がいたとします。
その医師からしたら、どんな原因で起こった合併症にしても、そこを対処できなかったのは医師の技術的な問題ということになってしまいますよね。
もし、そんな基準で手術ミスと判断されて、起こったこと全てが(過失がないもの含め)医師の責任にされるようであれば、手術なんてやりたいとは思いません。(よっぽどの利益が得られるのであれば天秤にかけてやる人もいると思います)
しかし一方で、医師の技術的な問題で起こる合併症も勿論あります。見落としがあった、処置が甘かった、そもそも技術的に未熟だったなどです。
一般的な基準で考えてその落ち度が医師にあるのか、偶発的な合併症とするのか、裁判になればこの辺りが考慮されますが、これもまた難しい問題で、手術する医師であれど、経験の差・技術レベルの差は必ずあります。
一般的な基準というものも、そもそも一般的かどうかは不明です。いろんな技術レベルの人が過去行った手術のデータをまとめて、統合して、だいたい何%ぐらいで合併症が起こる、としているだけです。
下手な人ほど合併症は起きる
合併症は、手術手技の上手い下手で起こる頻度が変わってきます。
これは当たり前なのですが、手術は上手い人がやったほうが早く綺麗に終わります。眼科の手術に限らず、どんな手術、麻酔、侵襲性のある検査でも、行う人のレベルの差によって変わってきます。
しかし下手だから起こったことは、すべて手術のミスなのでしょうか。
そうなると手術などの医療行為は、大ベテランの医師しかできず、若手が育ちません。
それはそのベテランが引退したら、将来的に誰もその手術をできる人がいなくなり、誰も治療を受けられなくなってしまいます。そうすると困るのは誰かというと、治療を受ける側の人になります。
そしてさっき述べたように、大ベテランでも手術合併症を起こすことはあります。(技術的な面でも、患者側のリスクが高い場合など)
でも手技の熟練度によって変わってくるのであれば、やっぱりそれは手術のミスでは?
と思われるかもしれませんし、実際それはそうとも言えると思います。だって大ベテランがやれば起こらなかった合併症だとしたら、そう思いますよね。それを「合併症」とただ執刀医が言うのは、単に技術不足を合併症という都合のいい言葉を使って責任逃れしているとも言えます。
だからこそ、手術する医師はうまくなるための努力を必ずしなくてはいけませんし、それをしない医師に手術する資格はないと思います。「合併症だから」で片付けるのは成長のない人、合併症を起こしたのは自分の手術技術と思える人が成長できる人です。
患者サイドとして、その執刀医の技術レベルが高い人なのか低い人なのか、そのあたりのことが心配なのであれば、患者側は誰が執刀するのか確認し、変えてほしければ事前に言ったほうがよいと思います。
一方医療者側も、なんとなく患者さんの雰囲気を察して、場合によっては執刀をベテランに依頼したほうがいいかもしれません。
最高峰の医療が受けたい方は、アメリカなど海外で高額な治療費を払って手術を受ければいいし、国内で希望があればご自身で調べて紹介状を書いてもらって有名な医師に手術してもらえばよいと思います。
ベテランのほうが安心、というは普通だと思います。
しかし、今はベテランの医師も、昔は下手くそだったわけです。
最初から完璧に手術をできる人などおらず、みんな努力して経験を積み重ねてベテランになっていくのです。
信頼関係の問題
では合併症により後遺症を負った患者サイドが、「じゃあ何もかも許すしかないのか」と言われると、そんなことはありません。
相手の責任を追及し、また後遺症などが残った場合それに対する金銭負担を請求したいのであればしていいと思います。そもそもそんな感じに発展する可能性が高いのは、手術前の医療者サイドの雰囲気に何か思う点があることが多いと思います。
少しでも心配だなと思うのであれば、流れるままに手術を受けることは避けた方がよいです。もし何かあった場合に、負の感情と、何かあった場合の負の結果が残ってしまいますから。
結局、それをしようと思うかどうかは、誠実な対応をしてきていたか、信頼関係があったかがかなり重要だと思います。
また、手術を簡単なことと思わないことが大事です。受ける側も、する側も。
もちろん、手術を受ける側が気楽な感覚で受ける手術は少ないです。
ですが、眼科では白内障手術は「簡単なんでしょ?」と言われることがたまにあります。
たしかに手術時間としては短いものであり、あっという間に終わるので簡単そうに考えられやすいです。
ただし一人ひとり目の状態は違いますし、同じ白内障手術でも難易度が高く時間がかかるような目の人はたくさんいます。
手術を軽んじられると、何かあったときの結果に対し、負の感情がでてくると思います。
医療者側は必ず、手術におけるマイナス面も説明します。
もちろんそれを強く伝えて心配させ過ぎて、精神的に負担をかけるのはよくないですが、事実として伝えておく必要があります。
手術って、それだけ重大な責任を背負って行っているものです。
同様の効果が見込める治療法がたくさんある場合、身体への負担が大きい手術というものは治療における最終手段になります。
医療ミスかどうかは、医療訴訟で判決を得るまでは決まりません。それ以外では勝手にそう認識しているだけです。
そして訴訟になるかどうかというのは、患者さんと医療者間の信頼関係で大きく変わってくると思います。
患者側が医療ミス?と疑うような場合は、そもそも関係性がしっかりできていないと思います。
さいごに
手術は0と100の簡単な結果ではありません。
手術における最大のリスクも踏まえて
手術を軽んじず
この人に手術してもらっていいのかよく考えて
信頼関係を築いて
患者側と医療者側がトラブルなく過ごすのが一番です。
こころの在り方というのが、非常に大事かなと思います。
ただ単に医者としての腕・実力、という意味ではあまり関係のない内容です。
しかし技術に100%はないからこそ、何かあったときの対応という意味でも、単に患者と医者の人間関係という意味でも、信頼関係を築くことはとても大切なことだと思います。
今回は医師・患者間の話でしたが、それに限らずですね。
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